峯田 和伸(みねたかずのぶ)
1977年12月10日生まれ、山形県山辺町出身。“銀杏BOYZ”として音楽活動を進めながら、並行して映画やドラマ等の映像分野でも活躍。米富繊維株式会社 代表取締役社長にしてCOOHEMを率いる大江健とは小中学校の同級生。対談翌週には初となるロンドンでのライブを敢行。

_INTERVIEW #004
KAZUNOBU MINETA ×
KEN OE

ケンくん、カンちゃんと呼び合うふたり。
四十歳を迎える同窓会で、再び巡り会い。
あのときのいつかは、この先のいつかへ。

(対談は下北沢、峯田さんの事務所の一室にて)

大江(以下O):毎週山形から東京に出てきていても、事務所のある千駄ヶ谷とか、打ち合わせで中目黒とか渋谷とか、なかなか下北に来ることがなくて…若い頃は来てたんだけど。

峯田(以下M):俺はね、こっちに来てからもうずっと下北だった。スタジオもそう、契約したレコード会社もそうだし、近い方がいいと思って梅ヶ丘に住んでたし。弟も一緒のアパートに住んでた、二年間ぐらい一緒だったかな。それにしたって山形でやってるってのがスゴいよなぁ、俺はこの先どうすんのかなぁ…今だったらメールでやりとりして、データで発信も配信もできるし、音楽は東京じゃなくて地方でもできちゃうから。だから売れなくて戻るんじゃなくて、売れてても東京から離れる人はいっぱいいるし。田舎は田舎でいいところがあるけど、あのとき俺はどうしても飛び出さなきゃいられなかった。もし2019年に俺が18歳の若者だったら、東京に出て行こうとは思わなかったかもしれないな。

O:まず僕は千葉にある大学に進んで、ちょっと悔しいもんだから最初は中野から通って、途中から新小岩に越して。

M:俺の場合は千葉からモノレールに乗っていかなきゃなんない、さらに奥地にある大学で。そっから新宿まで出るのに千円くらい掛かるんだけど、いつも金がなくて、そうすると江口クン(マネージャーの江口さん)が改札の外で待っててくれて、よく払ってもらってたなぁ。

O:ふたりともさんざん東京に憧れてたのに千葉に行っちゃってたってパターン…。

M:そうなんだよね。

O:それから僕はファッションビジネスを学び直して、前職のセレクトショップに勤めて五年半が経ったあたりで、実家の会社が縮小して急遽戻ることになった。想像すらしなかったんだけど、18年ぶりに。そしたら実家でも会社でも、気まずくて居場所が無くて、もう開き直って風穴を開けようとしてブランドを立ち上げたんだよね。最初は社内の誰からも相手にされなくて、当然サンプルひとつ作るにしても全部後回しにされた。それでも必死になってやり続けているうちに、徐々に認めてもらえるようになって。

M:それって俺でいったら、実家の電器屋を継ぎながら自分のレーベルをやるってことだよね。スゴいよ、それは俺にはできないな。

O:そこから経験と実績を積んでメンズが後発でスタートして、今買ってくれるバイヤーさんとかは、割と同世代の方が多くて。若い頃に馴染みのあったアイテムで、本来そうではなかったものをニットで仕立てているんだけど、こっちがモノづくりを介して発信していることをちゃんとキャッチしてくれてるんだよね。

M:うちらが子供の頃に3、4人の少年達が主人公で冒険する映画が続々と登場して、例えば「スタンドバイミー」とか「グーニーズ」とか「E.T.」だとか。それまで主人公っていったら大人の男、殺し屋、警官だったりさ。ちょうど同じ年頃だったから、丸ごとすべて自分達の世界のように重ね合わせていたんだよね。そんな映画を子供ながらにワクワクしながら観て感動した世代が、今自ら作り手になってネットフリックスのドラマとかを撮ってたりしてさ。観てたらわかるんだよ。俺達はインターネットが爆発するちょっと前の、大消費時代に多感な時期を過ごしてさ、それは“ロストジェネレーション”って云われたりもするんだけど、上でも下でもなくて、俺達の世代にしかできないことってあるのかもしれないね。あんな映画を若い子達にも教えてあげたいな。あと俺達、小学校の頃は皆んなブカブカの格好してさ、パンツインしてたじゃん?!エドウィンとかリーバイスだったんだけど。今原宿でそれと同じ格好してるんだよ、当時を知らない若い女の子達が。それだってその世代の誰かが発信して伝えているんだろうから。今やハイブランドのスタイルになっちゃってたりしてさ。ケンくん今度さ、峯田電器のカッコいい制服作ってよ、電器メーカーの名前入りのジャンパーじゃなくて女の子の社員が着ても可愛いやつ。弟にも言っとくからさ。

O:まぁうちの親父なんかも峯田電器さんには本当にお世話になってて、蛍光灯とか替えてもらっちゃったり。そんなこと頼むなよって思うんだけど、峯田電器さんは地元では山辺のプラットフォームって呼ばれるくらい信頼されてるからね。

M:あとさ、俺はステージでオニツカタイガーしか履かないんだけど、あるとき店先で見たことないやつを見つけてアレッ?て気になって妹に電話したら、“それって同級生のケンくんのところの”って。それがオニツカとコラボしてたやつなんだよね。俺はそのあたりでようやくケンくんのブランドを認知して。去年だってスタイリストと衣装を探してて気に入って手に取った一着が、偶然COOHEMだったりしたこともあったし。だからさ、銀杏BOYZのステージ衣装もお願いね。1万人もいない小さな町の同級生とこんな風に会っちゃうんだから、本当にビックリしてる、本当にうれしいよ!だってケンくんがやってること、COOHEMの服には個性があるでしょ。でも人の個性っていうのは人と違う服を着るとか、人と違う行動をするってことじゃなくて、もっと内側から滲み出てくるものだと思ってる。歌や音楽はいっぱいあるけど、好きなものには共通するところがあって、それは歌が上手いとかじゃなくて、その人が歌ってないとき、まだ何もしてないときの佇まいを見てると…こいつ一体どんなものを見せてくれるんだよ!って思うわけ。こんな奴が作る音楽とか、こんな奴が作る映画とか、それが絶対面白くないわけがないっていう。モノづくりに携わっていなくてもいいんだよ、ニートや引きこもりだっていい、タダモンじゃねぇなって感じる人いっぱいいるじゃない?はたから見ていたらさ。その人が何かやったら絶対に面白いはずだって、とにかくその人間に惹きつけられちゃうんだよね。

峯田 和伸(みねたかずのぶ)
1977年12月10日生まれ、山形県山辺町出身。“銀杏BOYZ”として音楽活動を進めながら、並行して映画やドラマ等の映像分野でも活躍。米富繊維株式会社 代表取締役社長にしてCOOHEMを率いる大江健とは小中学校の同級生。対談翌週には初となるロンドンでのライブを敢行。