川邉サチコ(かわべさちこ)
トータルコーディネーター

1938年生まれ、東京都出身。女子美術大学卒。手掛けたヘア/メイクはディオールやサンローランを始めとするオートクチュールに国内外の著名デザイナー、舞台、広告、デビッド・ボウイの来日コンサートに至るまで。定期刊行誌「ハルメク」では自身ならではの美の哲学を伝えている。

KAWABE LAB(川邉サチコ美容研究所)
www.sachikokawabe.com

_INTERVIEW #003
SACHIKO
KAWABE

年齢や肩書きにとらわれず、自分らしく心地良く毎日を過ごせるように。美容/メイクアップ/ヘアスタイル/ファッション、そして健康やアンチエイジングについてアドバイスするトータルコーディネーターの川邉サチコさん。冬の穏やかな陽射しと緑をふんだんに採り込んだ御自宅でお話を伺いました。

「年齢は、参考にしても観念にとらわれないように。今生きている、自分自身が存在する意味を大切に。たとえ些細でも、きちんとしたあなたの足跡を。」

美術学校に進んだ後、縁あって嫁いだ先が美容関係だったこと。それが始まりです。たちまち23歳で出張することとなった先がパリ、そしてオペラ座のそばのメイクスクールへ。そこで平面ではない顔という立体をメイクすることの醍醐味を知り、と同時にヘアメイクは身体の1/8しかクリエイトできないことを理解しました。どうしても服装にリードされてしまうこと、それ故トータルでのバランスを考え抜いたヘアメイクが必要なこと、だからこそ判るファッションのバランスのことも。帰国すると時代はオートクチュールの幕開け、現場でデザイナーにも平気で口を出す生意気なヘアメイクでしたね。常に先を見越す、見通すことが求められていた時代です。また日本のデザイナーに請われて海外に出向いた際は日本人としての意識が高まり、真似ではない日本の良さを魅せたいと強く想っていました。そうするうちに思い至ったのは女性を綺麗にするのはひとつでなく、すべてのことだということ。もちろん健康でなければ美しくなれませんね。やがて仕事の領域が広がっていくのですが、トータルでクリエイトするというのは、国内のみならずヨーロッパでも誰も手掛けていませんでした。クリエーションにおいて技術が長けているのは当然のことですね。肝心なのは、その先のこと。そしてまた美容という仕事の奥行きは、どこまでもはかり知れません。

(今回のテーマである「T.P.O.」というフレーズは1960年代に登場。奇しくも川邉さんは発案者の石津氏から当時、直々に耳にされていたとのこと)
場に合わせることは必要なこと、大切だと思います。パーティーやお祝いの場であれば、その場を華やかにすること。設けられた場に対する礼儀として。服装はまた、初対面であれば名刺代わりのようなもの。自分自身を魅せるためのパッケージ。私の場合はオートクチュールから始まっているので、スーツが大好きでした。格好いいスーツを愛用、そのスーツが重宝しました。仕事の現場はそれこそ戦場ですから、あくまでも動き易いスタイルに徹して。そこからパーティー会場へと移動するタクシーの中で慌ただしく着替えてハイヒールに履き替え、爪を塗って!! 実践していたT.P.O.は決して生温くなかったの。そして男性のスーツやブレザー姿は好ましいもの。その歴史に則ったルールや限られた選択肢の中で、どれだけ自分らしく洒落こむか? 基本を踏まえた上での着こなしや着くずしは、ときにうっとりするほど素敵なもの。男性のスーツの年ごとに変貌する襟の形だったり、いつも興味深く見ています。

COOHEMのニットを初めて目にしたときに想い起こしたもの。それはかつて見てきたソニア(リキエル)やミッソーニ。素材を上手く活かしていたニットを見てきましたから、あそこをあんな風にしたらいいんじゃない? なんて想像したり。ニットの場合はとかく体型が気になるものですが、ざっくりとして伸縮性があり、着こなし易い印象でした。そしてニットは袖を通さないと判らないもの。裏地や芯をあてがわない、シンプルな仕立てと着心地にニットへの愛情を感じました。実際に着てみて袖口を折り返したときや捲ったときの、パイピングやフリンジを思わせる表情も素敵ですよね。

川邉サチコ(かわべさちこ)
トータルコーディネーター

1938年生まれ、東京都出身。女子美術大学卒。手掛けたヘア/メイクはディオールやサンローランを始めとするオートクチュールに国内外の著名デザイナー、舞台、広告、デビッド・ボウイの来日コンサートに至るまで。定期刊行誌「ハルメク」では自身ならではの美の哲学を伝えている。

KAWABE LAB(川邉サチコ美容研究所)
www.sachikokawabe.com