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「会社」をブランディングするということ

記録的な寒波に見舞われる中、米富繊維がある山形も例年より雪が多く春の訪れが待ち遠しいこの頃です。

今回のDirector’s BLOGは一年前より進めてきた米富繊維株式会社の企業ブランディング、「会社」をブランディングするということについて。

 

米富繊維(よねとみせんい)は、今から65年前、1952年に私の祖父母・大江良一、英子によって山形県山辺町で創業した横編ニットメーカーです。

戦後、モノが不足し仕事もない中で、自宅前の倉庫でニットのモノづくりをスタートしたことに遡ります。

社名である「米富(よねとみ)」の由来は、代々伝わる“米沢屋富蔵”という屋号の通称。その祖は鎌倉幕府に仕えた大江一族とされ、寒河江市の古刹/慈恩寺に移り住み奉行を務め、150~160年前に当たる幕末の時代には既に生糸を手広く商い、後に丈夫で高度な染色技術を誇る山辺木綿の卸し売りに。産地問屋として、明治の初期に横浜まで生糸を売りに出向いていたという記録が残っています。

創業から今日に至るまで、モノづくりを支えてきた先人たちの歩んできた道は、決して平穏なものではありませんでした。

戦後、日本の高度経済成長に乗り産地のリーディングカンパニーとしてその名を馳せた老舗ニットメーカー米富繊維、ニットのモノづくりに携わる人で一度はその名を耳にしたことがあるというほどの企業に成長していきます。

そこから、90年代後半よりアパレル業界全体が海外生産にシフトする中で事業規模を縮小していくことに。

 

 

そして、時は流れ、米富繊維株式会社初の自社ブランドCOOHEM(コーヘン)が誕生、現在に至るまで国内外の百貨店、セレクトショップでの展開、異業種コラボレーションなどブランドスタートから7年の中で大きな変化がありました。

 

そうした激動の歴史の中で、これから企業として「何を残し、何を伝え、何を変えていくのか?」これまでの先人たちの歩んできた道を振り返りながら、新しい時代に向けて「伝え残していくもの」を整理する。このことが、米富繊維という「会社」を再びブランディングしていことに繋がります。

創業者・大江良一が遺した自著「ファッションは生活なり」からその歴史や創業者の想いを、現在も働くベテラン職人たちからの伝え聞く当時の米富繊維、様々な角度から「会社」が大事にしてきた理念やそこに携わってきた先人達が大切にしてきたポリシーを丁寧に振り返る。

 

そして、現在の米富繊維のこだわり、働く人達、これから先向かうべき方向性などを整理していきます。

 

このタイミングで、COOHEMだけではなく、米富繊維という「会社」のブランディングに着手したことには理由があります。

 

今、新卒入社の社員を含めて、ここ数年で若手社員が増えていく中で、「これまでの米富繊維」と「これからの米富繊維」をビジュアルとして、形にして伝えていく必要があると感じたからでした。

 

また、米富繊維はCOOHEMのブランド展開だけではなく、国内大手アパレルメーカー、百貨店、セレクトショップ、デザイナーブランドのOEM/ODM生産も手掛けており、そうしたお取引先各社に対しても「これまでの米富繊維」と「これからの米富繊維」を発信、より良いモノづくりを継続的にお取り組みしていく土壌作りの一つとして「会社」をブランディングしていく必要を感じました。

 

 

 

まず最初に取り組んだのが、米富繊維の会社概要。

全64ページという充実した内容でこれまでの歴史、技術、ニットの生産工程から、携わる人までを網羅した内容になっています。

次にその会社概要の内容とリンクした米富繊維のコーポレートサイトのリニューアル。

米富繊維株式会社

http://www.yonetomi.co.jp

 

時代は変わり、製造メーカーであっても、WEBでの情報発信は必要不可欠です。

ニット工場を見たことがないという若いニットデザイナーに対しても、このコーポレートサイトを活用して今後も情報発信ができればと考えています。

 

 

 

COOHEMのモノづくりを可能にしているのは、創業65年の米富繊維の培われた歴史と技術の上に成り立つという事実、そしてこれからもなお、米富繊維たらしめる存在であり続け、ニットのモノづくりの常識を覆す商品を作り続けるために。

OEM/ODMの各お取引先の商品が、この会社でしか作ることのできない独自性、時代性、先駆性がある付加価値の高い商品になるために。

「これまでの米富繊維」と「これからの米富繊維」を発信し、「会社」をブランディングすることは続いていきます。

 

Director 大江

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