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「あの頃」interview with GING NANG BOYZ (Kazunobu Mineta)

記録的な暖冬と言われる中、ようやく山形にも雪が降りました。

雪が降ったと言えどすぐに溶けてしまうほどで、気分はすっかり春に移りつつあります。

今回のDirector’s BLOGは、COOHEMのシーズンカタログやWEB、Instagramをご覧になって気づいた方も多いかと思いますが、2020SPRING&SUMMERのINERVIEWに登場してくださった銀杏BOYZの峯田和伸くんと話した「あの頃」について。


峯田くんが山形出身というのはご存知の方も多いかもしれませんが、僕と峯田くんは山辺町の小・中学校の同級生です。

小学校高学年の頃、ボーイスカウトで一緒だったので、キャンプに行ったり色んな子供時代の思い出があります。


僕たちが少年時代を過ごした当時の山形は、今のように情報もなく、テレビや雑誌で見るものは何も手に入らないほど田舎でした。

町にコンビニはなかったし、マクドナルドができたのは高校時代だし、ニューバランスのスニーカーは売ってないので雑誌「Boon」裏表紙の通販ページを見て県外のスニーカーSHOPにFAXで購入みたいな、そんな時代でした。

それに加え田舎の小さな町の中で、僕はニット工場の息子、峯田くんは電器屋の息子、子供時代にお互いそれについて話したことはなかったけれど、小さい町のコミュニティの中で周囲から注がれる目線や変な期待に窮屈さを覚えた時期もあったのだと思います。

本当に山と自然しかないようなところで育って、何かを見たい、知りたい、手に入れたいと思うと、それはすべて自分たちの近くにはない。
テレビや雑誌を見て、まだ見ぬ「東京」に強い憧れを持つ。

僕たちの世代は、東京に行けば何かが叶う、何か手に入れられる、そう思って上京した人も多いのかなと。

同世代で地方出身の方なら同じように感じた思い出もあるかもしれませんが、僕たちが大学進学を機に上京した時は、開放感に満ちた感覚でした。

峯田くんもそうだったみたいですが、僕も「上京」したといつつ、実は「千葉」の大学だったり、僕は山形弁が抜けなくて、必死に標準語の練習をしてみたり。
この点、峯田くんは無理に標準語に直さなかった点は僕とは違っていたようです。


僕が前職に就職した頃、彼はインディーズバンドとして世に出て、その後の活躍は皆さんが知る通りです。

再会するきっかけとなったのは、峯田くんがプライベートでたまたま購入したニットがCOOHEMのニットだったり、数年前に山形で開催された同窓会だったり、峯田くんのスタイリストさんがリースにも来てくれたり。

今回の対談で久しぶりに色んな話しをしていく中で、少年時代に感じていた田舎の窮屈さだったり、期待を持って上京したりと「あの頃」の話はつきませんでした。

同じ時代を過ごしてきた中で、お互い道は違えど将来こんな風に出会うなんて不思議な感覚と少しの照れ臭さもありました。

自分のやりたいことを貫き通して音楽で多くの人を感動させている彼に若干、嫉妬しつつ、僕自身もまだまだ服を通して多くの人たちに感動を与えられるようになりたいと刺激ももらいました。

子供の頃、あんなにふざけて遊んでいたのに、数十年で人生いろいろ変わるんだなと。

Director 大江

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