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米富繊維・Coohemを支える人達 〜パタンナー・鈴木編〜
Director’s BLOG連載「米富繊維・COOHEMを支える人達」も早いもので第7回目となった今回は、COOHEMのニットジャケットを中心とするアウターの生みの親とも言えるチーフパタンナー・鈴木編です。
彼女は今から29年前の1987年に入社。
その昔、大手アパレルメーカーでデザイナーをしていましたが、故郷・山形にUターン就職しました。
縁あって米富繊維株式会社に入社しましたが、工場でのモノづくりは初めて。
当時は今のように研修期間などもなく、いきなり現場に放り込まれ「背中を見て覚えろ」の時代。
元デザイナーとしての感性を生かした彼女のパターンメイキングは、数々のヒット商品を世に送り出し、多くの取引先デザイナーのイメージをカタチにしてきました。
このパターンメイキングですが、彼女の口癖は「展開を考えろ」。
服の構造を理解し、その基本から「展開」を考える。
職人気質で「見て覚えろ」の彼女ですが、米富繊維に入社して初めてモノづくりを覚える当時の僕にも厳しくご指導頂きました。(笑)
高度成長で会社の規模が大きくなり、その後アパレル業界の海外生産が一気にシフト、シュリンクしてきた激動の時代を駆け抜けた彼女のキャリアは、パタンナーとしてもモノづくりが大きく変化した時代と重なります。
ニットメーカーとして、いわゆる「セーター」を作ってきた会社が、ジャケットをはじめとするライダースやコートなど「アウター」を作る変化。
Coohemがスタートして今日までの数年でも劇的に変化した米富繊維のモノづくり。
前回の鈴木開発室長とともに彼女のような大ベテラン職人達の「挑戦」と「進化」の歴史でもありました。
編立、縫製の現場スタッフはもちろん、モノづくりのポイントとなる2人の「技術」と「経験」が数々のCOOHEMのマスターピース(傑作品)を生み出し、日本のファクトリーブランドの進化形を体現してきました。
僕が様々なメディアで取材を受けた際に必ず聞かれる質問。
「ブランドを立ち上げた際にベテラン職人と衝突がなかったのか?」
COOHEMのモノづくりが前例のないモノづくりがゆえ、皆さんに上記のようなストーリーを連想されるのだと思います。
しかし、振り返れば、ベテラン職人の彼ら彼女たちほどその新しい試みに挑戦してくれた人はいませんでした。
そう、それは自らが進化する過程を楽しむように。
本来、「工場」というものは生産効率を求めることが第一であり、「ブランド」として付加価値を高めることは時にして相反する結果になることも多々あります。
自分達にしか出来ないモノづくり。
そこにプライドを持って自らの「技術」や「経験」を惜しみなく駆使する。
結果、COOHEMは海外のデザイナーブランドやラグジュアリーブランドと肩を並べられるクオリティを実現してきました。
ニットのパターンメイキングは、ニット特有のテキスタイル自体の伸縮性やダレなどを考慮した難易度が高いもの。
デザイナーの意図を汲み取り、カタチにしていく非常に重要なポジションであるパタンナーについても感性が求められます。
元デザイナーという異色のキャリアを持つ彼女がいたからこそ、米富繊維ならびにCOOHEMは、他のニットメーカーではカタチにすることが出来ない製品を生み出し、新しいニットファクトリーの在り方をカタチにしつつあります。
そして、そんな神業を持つ彼女から一つでも多くの技術を吸収し、成長していく若手職人達が生まれることでしょう。
数年後、数十年後、成長した若手職人たちの存在は、彼女が米富繊維に残した功績として語り継がれていきます。
また、僕自身もこの先、彼女達の「挑戦」と「進化」の歴史をしっかり次の世代に伝えていきたいと思います。
「展開を考えろ」
企業として、ブランドとして今後の「展開」は、彼女たちを含めたベテラン、若手職人達によって新しい局面を迎えていきます。
次回のDirector’s BLOGは、いよいよ待望のCOOHEM MENSのローンチについて。
ブランドスタートから6年、遂にMENSラインが2016AUTUMN&WINTERよりデビューします。
皆様、お楽しみに。
Director 大江